 先日のアメフト観戦時のランチ。 チーズミルフィーユカツサンド。 そしてエビスビール。 東北大オリジナルハリセンを添えて。  ユアスタに行くか 仙台市体育館に行くか迷ったのですが、 ハシゴしなくて良かったです。
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 今月は4回目です。 ≪今年の休肝状況 ※ブログ投稿ベースです≫ ■ 本月4回(前月3回 前月比+1回) ■ 本年15回(前年データなし) ■ 月平均1.5回 酒の入っていない、そこそこ汚れていない感情の中、 川柳でも詠んでみようかと思います。 休肝日 家族の支持率 下がり止め 息子の様、意外な言葉に 背筋立て いただいた チーズ笹かま 食べ切られ
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志村~!!うしろ!! はドリフのコントで聞かれる言葉ですが、 「志村!!お帰り!!」という温かい声援は 昨日仙台市体育館で聞かれた言葉です。 男子プロバスケットボールBJリーグに加盟する。 仙台89'Sは昨日、震災後初のホームゲームを行いました。 試合前には主将、志村選手が挨拶のマイクを持ちました。 一言目「ただいま」。 観客の皆さんは「おかえり」と返し、 明るい性格の彼らしい言葉で 仙台でのゲームに関する意気込みや、 これからにかける意欲が伝わってきました。 その後は、震災で亡くなった人々への哀悼の意をこめた黙とう。 対戦チームの秋田NH(ノーザンハピネッツ)の スタッフや選手たちも協力してくださいました。 震災後の仙台は活動休止(全戦不参加)、 運営会社も倒産の危機に面しましたが、 リーグ本部の配慮や全国からの様々な支援を受け 今期もリーグに加盟できることになりました。 昨シーズンの休止期間中、多くの日本人選手は 特例制度のレンタル移籍により各チームに 離れ離れになってプレーをしていました。 多くの選手たちは仙台89'Sへの思いを示すために 背番号「89」を背負いプレーしてくれました。 その思いがかない、日本人選手は昨年と同じメンバーでのシーズンです。 外国人選手たちは震災のストレスや様々な事情から 移籍してしまい、外国人とのコンビネーションは まだまだ改善の余地がある状態です。 それでも、 選手たちは、地元仙台でプレー出来る喜びをコートで 爆発させてくれるはずだと信じています。 昨日は、名将(猛将・闘将)中村和雄HCの秋田の前に 敗北を喫しました。 同じ相手に2度も負ける仙台ではないはずです。 サッカー、野球に次ぐプロ球団として 震災からの復興に勇気を与える勝利を届けてほしいと思います。
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 昨日仙台大学がリーグ制覇を果たした、 東北学生アメリカンフットボールのリーグ戦。 ホーネッツが破れてしまったためにちょっと毒を吐かせて下さい。 ■巧妙だった山田監督の戦術、見事に的中 ①東北大守備ラインの中心選手の欠場をつき、 中央~右を突くランプレーを多用。 1STダウンはランプレーでこのエリアを突きまくりました。 その比率も9割近くではないでしょうか? ②東北大守備の特性を逆手に取ったQBのアクション。 スナップ後、ハンドオフフェイクを入れたプレーアクション のような?ムーブから、東北大守備の逆を突くプレーが多かったようです。 後半は逆に早いタイミングのプレーがゲインを出すという 副作用もシナリオ通りだったのかもしれません。 ~敵ながら素晴らしいゲームプランだったと思います。 ■痛かった主力選手の欠場~東北大 アメフトにケガは付き物です。 周りのメンバーのモチベーションになることもあるようですが、 今回はマイナスに作用したようです。 #10、#51のLB陣がチームを鼓舞していたのは 来年への収穫の一つでは。 ■液晶ビジョンが使えず 費用の面もあるのか残念。 そういえば、フィールド実況もありませんでした。 集客面も… 入場料無料は大歓迎ですが、 せめて、義援金の箱を置くくらいの配慮はできたのでは… (公共施設での無料開放なのでNGだったのでしょうか?) ■チアの精神を思い出そう。仙台大チア。 大一番と言うことで、 東北大学は応援団総動員(?)体制。 仙台大学サイドでもチアリーダーが声援を送っていました。 東北大のチアはハーフタイムにパフォーマンスを行ってくれました。 なんと、なんとスタンツまで披露してくれました。 一方、仙台大チア。 東北大の演技中声援や手拍子を送っていたのはごく一部。 ナカムラ会長が見たらどうおっしゃることか… ■すべての選手はチームの一員。 QBが攻撃の司令塔であることは間違いありません。 ワタクシが見てきた 過去のホーネッツには走らないQBもたくさんいたし、 走れるけれどパスとハンドオフに徹する選手もいたかもしれません。 見たことはないのですが、走るならばとことん走って、 1回平均10ヤード以上という 「絶対エースRB」を兼ねたQBも必要なのかもしれません。 打倒関東!!ホーネッツの敗北は翌年への成長の糧。 「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」 (スラムダンクより 名門山王高校・堂本カントクの明言)
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 予定外の時間ができたので アメリカンフットボール、東北学生リーグ戦を観てきました。 本日の対戦カードは東北大学対仙台大学。 全勝同士の対戦、勝てばリーグ制覇という わかりやすい位置関係の両チームです。 試合自体は周知のとおり、44-10で 仙台大学シルバーファルコンズが勝利しました。 少数精鋭ながら東北のチャンピオンとして 被災地に勇気を届ける戦いをしてきてほしいと思います。 さて、ワタクシ的なハイライトは 前半の東北大のSBのカウンター系のリバースプレー。 このプレーシーズン前は東北大のプレーブックには 含まれていなかったはずで、 仙台大とのこの試合用に準備したプレーだと思います。 もともとは、 あのチームが仙台大学との対戦で披露したプレーであり、 あのチームが東北大学との対戦で多用したプレーであり、 いずれも20ヤード以上のロングゲインをとったプレーです。 その数分後、なんとこのプレーの元祖ともいえる TG #83の選手が観戦のためにスタンドに入ってきました。 彼は例のプレーを観ていないはずですが、 「SBリバースはオレの専売特許だ!!」と訴えたに違いないと思います。 プレーも切れ味ある素晴らしさでしたが、 元祖の選手の登場のタイミングがワタクシ的には 爆笑の素でした。 さて、いずれにしても震災の混乱中、 リーグ開催が危ぶまれましたが、 ユアスタと言う最高の舞台で、優勝を決める対戦ができたこと、 苦難を乗り越えながら、シーズンを乗り切ってきたこと、 リーグ関係者のご尽力と 各チーム選手・スタッフの皆様には 改めて感謝と賞賛を送りたいと思います。 アメフトは本当に素晴らしい!!
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 今月は3回目です。 ≪今年の休肝状況 ※ブログ投稿ベースです≫ ■ 本月3回(前月3回 前月比±0回) ■ 本年14回(前年データなし) ■ 月平均1.4回 つくずく飲んでます…
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 今日は給料日、 ブログの食べ物ネタも休んでいましたが、 今日から復活です。 元の内容に立ち返って再スタートです。 そんなわけで復帰初投稿は塩釜ラーメンの王道を走る、 来々軒さんへ行ってきました。  もちろん中華そばをいただきました。 味以上にお店のご主人と女将さんの人柄が スープ以上に優しい雰囲気のお店です。  お会計の際のやりとりから B級「ごちそうさまでした」 女将「いつもありがとうございます」 B級「今日は給料日なので贅沢しに来ました」 女将「おめでとうございます」
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 東日本大震災は、平成23年3月11日に発生しました。 震災により被害を受けられた皆様やご遺族の方々には 謹んでお見舞いを申し上げます。 ワタクシなりに、震災復興のお役に立てればと 東松島市をはじめとした被災地でのお手伝いをさせていただいてきました。 併せて、その現状を皆様に知っていただき、 多く方々にできる範囲での支援活動へのきっかけ作り となれればと思い、その現状をお伝えしてきました。 一方では、食いしん坊なヤツが被災地に行って何ができる。 被災地観光に来たエセボランティア。 昼食を食べられないと文句言われそう。 ただの自己満足のため。 といった意見をもたれている方もいるのかもしれません。 ワタクシ自身がそういう評価を受けることは何ら問題はありませんが、 一緒に活動している方々が、そのような評価を受け、 被災地でもそれなりのもの食べられてるから支援要らないんじゃない。 といったことになることは、断じてあってはならないと考えています。 東松島を中心にした震災復興関連の記事については、 今回をもってご紹介を終了させていただきます。 ただし、現地での支援活動はまだまだ必要です。 東松島を中心に、当地での活動は ワタクシの決めた時が来るまで継続していく所存です。 今後は、震災前同様、自分のライフスタイルを肩肘張らずに お読みいただける内容で、継続して行こうと思います。
とは言いながらも、東松島をはじめ、亘理、山元、石巻等 現地と関わる中で、拙ブログを介してでも 皆さんに知ってほしいこと、 お伝えしたいこと、 拡げて欲しいこと、 協力してほしいこと、 がたくさんあります。 あまり、お願いしたくはないのですが、 ワタクシの中で「これは!」という部分に関して、 たまには経済的な協力や物資の協力もあるかもしれません。 これまでは当時所属した団体での活動。 あるいは所属するまでの個人としての活動や想いが中心でした。 今後は、ちょっと広く、そして主観的な目線と言うよりも 拡げていただきたい内容を中心に、 某団体の広報的な機能は切り離して、 「 A面のヤボ用」というカテゴリーでお伝えしてまいります。 震災はまだ終わっていないし、 続いている方々がいるということをお伝えしたいのです。
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 スイセンの球根、それもかなり小さいものがたくさんあり、 大きく育てるために植え付けてみました 通常スイセンの球根の大きさはゴルフボール程度の大きさですが 今回植え付けたのは全てパチンコ玉程度。 そんなワケあり球根が300個近くあるのです。  ジャガイモの用の肥料が残っていたので 球根にも良いとされるカリ系の成分が多いだろうと たっぷり施しました。  来春までに大きく育ってくれたら スイセンプロジェクトに送り 花の力で元気を取り戻すお手伝いができればと考えています。
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 以前から気になっていたお店のひとつ 多賀城市内の45号線沿いにある、 むつごろうさんへ定食を食べに行ってみました。 夜は居酒屋、昼は定食類を中心に ネットや雑誌での情報は少ないながらも 知る人ぞ知る地元の名店のようで、 やや頼りなさげな入口とは対照的に 店内は案外広くお客さんの出入りも多く、 出前の注文の電話にお店の方も忙しそうです。 どこかでカツ丼のイメージが残っていたので、 メニューの白板の一番左の上段に書いてあったことから チキンカツを注文します。 周りのお客さんをみると魚系の定食が人気のようです。 名前から判断しても次回は魚を食べてみたいと思います。 そんなことを考えていると料理が運ばれてきます。 ご飯、味噌汁(今日は中華風の卵スープです)、 チキンカツ(大きい、というかデカイ。A5サイズは相当です)、 糸こんとチクワの煮物、 とにかく、 チキンカツが巨大です。 では早速いただこうかと… さらにもう一品。 マグロがふた切れとお新香少々。 かなりの豪華さです。 カツは柔らかでジューシー、それでいてアツアツでサクサク。  しかし、ここで別の不安が。 これだけの豪華な内容ですが、 メニューには金額が表示されていませんでした。 街ナカで食べれば1500円取られてもおかしくない品数です。 安く見積もって1000円。 地域性を考慮しても700円から800円はするのではないでしょうか。 しかし、マグロの存在が価格の判断を迷わせます。 美味しい、旨い、という満足感は次第にお金の心配に変わります。 ボリュームあるパン粉の中の鶏肉を何とか 胃袋に流し込み、会計に向かいます。 「650円です。」「650円です。」
「650円です。」
「650円です。」ちょっとハマりそうなお店です。
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 昨日、スイセンプロジェクトの一員として活動してきた 宮城県、浦戸諸島の桂島。 スイセンを植える活動自体は皆さんで楽しく過ごすことはできました。 しかし、島内のあちこちに津波の爪痕が残っていました。  塩釜の桟橋から定期航路で30分 (※) 桂島の港に降り立つと、港のそばにある漁業組合の建物脇に 渦を巻く巨大な物体。建物のらせん階段だったそうですが、 津波で破壊されたとのこと。 ※ちなみに塩釜からの移動時間ですが、 震災前はもっと短い時間で移動できたそうです。 津波によるガレキが航路の海底を塞いでいて、 迂回コースでの運行になっているのだそうです。    港の乗船待合室脇のアスファルトは津波の引き波の影響でしょうか、 避けるような凹凸が広がり、島のあちこちにガレキが残されています。  津波からの避難を島民に警告した防災無線のスピーカーです。 島民は全員無事でした。その身を犠牲にして 島民を高台に急がせ、島民たちの生命を守ってくれました。  桂島では、変電設備も津波の被害を受けて 長く停電が続いたそうです。 送電線は塩釜港からではなく、上の図を見ると 宮戸を経由して電力の供給を受けているようです。 ひどい被害を受けた桂島ですが、 一方では復興へ向けた力強い動きが進んでいることを確信しました。 震災前から島おこしのプロジェクトが進んでいて、 そのチームが島おこしと復興への役割を担っているようです。 その一つ、「島を訪れた人には、桂島を故郷だと思ってもらおう」と 観光客に対しては「ようこそ」や「いらっしゃいませ」ではなく、 「おかえりなさい」と声をかけているそうです。 事実、港にはこんなのぼり旗が掲げられています。  一見客ではなく、リピーターを増やして行こう という考えもあることなのだと思います。 永く続けてきてもらう。 ワタクシ個人的にどこかで聞いたセリフのような気もしますが、 非常に有効性があり、桂島にあった計画だと思います。     そして、今回のスイセンプロジェクトとは別に、 元来島の基幹産業だった漁業も少しづつではありますが、 再開に向けて進んでいるようです。 東松島の宮戸地区でお手伝いしてきた「海苔の養殖いかだ」を 積んだ船もありました。養殖場で作業をしている方もおりました。 海原をかける船も見られました。 海苔の生産になくてはならない1台4~5千万はすると言われる 海苔の乾燥機は震災前20軒の漁師さんが正雄していたそうですが、 残った4台程度の乾燥機を活用し、共同生産体制を採るそうです。 復興に向けて残った機材で、人々が力を合わせて生きていく。 震災は多くの財産をうばいました。 一方では忘れていた大事なものを思い出すきっかけになるのかもしれません。  きれいな海と海洋資源、海苔、送電線と言った宮戸(東松島) との多くの共通点に不思議な親近感を持つと共に、 スイセン以上に何か大きなものを学んだ気がします。 素晴らしい桂島で。
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 以前からお手伝いさせてもらっている、 スイセンプロジェクトの活動。 今回はプロジェクト最大の植え付け作業です。 その数15,000 の球根を宮城県の浦戸桂島に植えようという活動です。 全てが瀬戸内海に浮かぶ男木島から提供を受けたのだそうです。 植え付けたのは海の見える丘の道沿いの場所。 桂島へは船で移動後、植え付け場所まで徒歩で移動です。  シンゴさんからの声掛けに対して集まった参加者は130名。 仙台、関東、東北、中には海外からの方も。 地元、浦戸小学校の子どもたちも元気に参加してくれました。 スイセンを提供くださった、男木島からも参加をいただきました。  作業は案外ハードな部分もありました。 地面が固く、砂利が多いため、移植ごてで掘り返すの困難で、 数本あったツルハシが大活躍です。   また、斜面に植え付ける場所もあり、 足もとが不安定な中での作業で、かなり足がヒクヒクと… それでもシンゴさんは、この(区画)全部をスイセンの花でいっぱいにしたいと 自らツルハシを振り下ろして、固い地面を掘り起こして行きます。 その姿は決してテレビでは見ることのできない、地道な姿です。 (テレビならば、編集ですべて自ら手をかけたようにすることもできるはずですが) 今回は、シンゴさんが頑張っているのを見せられると、 周りのワタクシたちも手を休めることができませんでした。 とにかく、シンゴさんは、熱い男でした。  「趣味の園芸」の生放送の現場にいる雰囲気を抱きました。 参加者全員が初めて顔を合わせたメンバーがほとんどにもかかわらず、 作業は予定の時間に終了し、昼食となりました。 昼食会場は地元の小学校の体育館だった場所。 桂島のお母さんたちが作ってくださった、 メニューはカレーライスでした(写真取り忘れ)。  調理は給食室で行われていたようです。 配膳の列に並んで、お皿を受け取ります。 受け取っても食べてはいけません。 130人全員で「いただきます」の挨拶。 号令係は浦戸小学校の子どもたち。 一皿目を全部食べたらお替わりに並ぶ(昔の)男の子たち。 文字通りの 『給食』を楽しみました。 食後は、今回のスイセンプロジェクトの紹介を兼ねた交流会、 終了後は、朝と同様に港までの5分程度の道を徒歩で移動し、 船で塩釜へ移動後の解散となりました。 来年の3月には満開になったスイセンの花を 楽しみながらのイベントもあるようです。 次回も皆さんとの再会を楽しみながら、 スイセンを見に行こうと思います。
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 昨日のチームG出の活動後、 14時前でしたが、朝食をかねた昼食を取ることができました。 被災地での活動は、時として危険と隣り合わせの活動です。 チームGでの活動は、時として昼食時間との戦いにもなります。 昨日は後者については犠牲者となってしまいました(笑)。 別の用件がてら、松栄フルーツさんに併設の 立ち食い蕎麦屋さんでフルコースをいただきました。 チーム  おばちゃんがつくる蕎麦屋さんのツユは 懐かくて、疲れたカラダに嬉しい味わいなのです。
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 世間では今日から三連休の方もいらっしゃいます。 チームGは天気に恵まれてボランティア日和でした。 連休初日は関東からバス4台、 合計140人の方々との共同作業となりました。 宿泊プランも含めた石塚観光さんには いつも大活躍いただいており 本当にありがとうございます。 常連さんもたくさんいらっしゃるようで 以前一緒に作業をさせていただいた方から、 声をかけていただきました。 こういう形で知り合う事ができたのも、 何かの縁であり、再会できるのも非常に嬉しい出来事です。 さて、ワタクシは午前中のみの滞在でしたが、 今回からバスツアーを始めた、チーム神奈川の皆さんと 墓地の清掃のお手伝いとさせていただきました。 もちろん、石塚観光さんも大勢での参加です。 更に同じ東松島の野蒜小学校を拠点に活動する、 プラスネオさんから参加しているメンバーもいたようです。  墓石が積み木のように散乱している墓地での作業自体、 ワタクシは初めての経験でしたが やや繊細さが求められる根気を伴う作業でした。 チーム神奈川+石塚観光10月8日発宿泊コース墓地チーム の活躍により 作業はかなり進んだように思います。 また、ガレキを入れるのに使った土嚢のう袋には 小学生たちが心を込めて描いてくれた 心あたたまるメッセージやイラストが溢れていました。  作業の合間に袋を眺めて笑顔になる方、 せっかくの思いを使うのがもったいないという方、 逆に思いに応えようと袋一杯に詰められるか方、 携帯カメラで撮影する方あり。 子どもたちの想いは しっかりと被災地に届いていることを証明させていただきます。 ※こちらの土のう袋は石塚観光さんの ボラバスに参加されている方のアイディアだそうです。 単なるボランティアツアーでなく、継続的かつ独自のプロジェクトを 展開されており、チームGにとっては 大切なパートナーになっています。 さて、 なぜかガリガリ君こと、アヒル隊長も顔を出してくれ、 いつものように縦横無尽の大活躍でした。  彼の大活躍無しにチームGの活動は成立しないといっても過言ではない、 と言えるほどの存在です。 そうか、今日は10月8日でした。
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 先日見た風景です。 初めて被災地に来て見た時は「被災地にありがちな」風景かも知れません。 しかし、震災前のことを知っていると、 胸が苦しくなる光景です。  宮戸の湾岸です。 右側に岸壁があり、写真中央は本来は生活道路です。 道路は、中央奥に見える青い屋根の建物まで続いていますが、 満潮になると道路の大部分が冠水してしまうそうです。  野蒜海岸沿いの道路から内陸部を眺めた写真です。 道路沿いに応急設置された配管がむき出しになっています。 電柱のようなコンクリートのものと、 黒いゴム状の配管が道路沿いに続いてます。 その奥には津波で流された漁船がまだ残っています。 本来この場所は海ではなく、陸地でした。 津波で表土が削り取られ、 広大な池のような状態になっています。 その奥にはガレキ置き場がありました。 瓦礫の高さは5メートル以上。 毎日あちこちから搬入が続いています。 このガレキ置き場はもともと海浜公園でした。 休日になると、多くの家族連れが楽しんでいた場所です。 何げない風景でも震災の後と前では大きく風景が変わっています。 ワタクシは年に数回この場所を見ていただけですが、 ここを通って毎日学校に行ったり、 仕事に通っていた方の思いを想像すると どう表現してよいのかわからなくなります。
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 以前から気になっていた、塩竃市のおにぎり専門店 「しお彩」さんでおむすびを買ってきました。  こちらのご主人はもともとは塩釜市内ですし店を営まれていたそうです。 しかし、東日本大震災の大津波で店舗がダメージを受け、 やむなくお店を畳まざるを得なかったそうです。  そして、すし職人として培ってきた美味しいご飯を握る腕と技 まさに、塩釜といえばそのまんまですが名産の塩、 地元産尾の海苔、これらを組み合わせて 誰もが喜んで食べてくれるおにぎり専門店を 新たに開きました。 おにぎりは、震災直後の炊き出し職としても支給されましたが 遠足や外出の際にも多くの人々に愛されています。  きっと、ご主人はおいしいものをみんなに手軽に食べてもらいたい。 といった料理を仕事にする者にとっても最も大切な部分だけから おにぎり専門店での再出発、原点回帰を遂げられたのだと思います。 全部人の手で握っているとのこと、 おにぎりの味以上にご主人のお気持ち(愛情)が心に染み渡るおにぎりです。 さすらいの放浪の画家、山下清大先生が召しあがったら さぞかし喜ばれることと思います。 おっと、おにぎりそのものの写真は食べるに夢中で 撮り忘れてしまいました。
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 先日ご紹介した、塩釜市の食堂、みうらさん。 こちらで食べたマグロ(中落)丼の値段ですが、 なんと、 とその前に、お二人の方から回答をいただきました。 いつもお世話に なっております、お二人ありがとう ございます。 では、正解を… とその前にもう一度マグロ丼のき れいなお姿をご覧くださ いっていつまで待たせるのだと怒られてしまいそうです。 でも、よ~く見てください。答えはすでにお伝えしております。 今回の記事の中に こんな文字がいくつかありました それを上から読んでください。 ななごれい… 750で 750円が正解でした。 あまりの安さと言うより、正解発表までが長すぎたようです。 でも、待つだけ甲斐ある美味しさです。
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 サポートチームGのメンバーが足りない との噂がながれているらしいとのことで アヒル隊長(あひる課長さんとは別人です)のお手伝いに行ってきました。 今回は奥松島の宮戸地区での漁業支援です。 具体的には二軒の漁師さんの作業場で、 海苔用のいかだを作る仕事です。 いつもの石塚観光さんのバスツアーで参加された皆さんのお力を借りました。 石塚観光さんに参加された高校生の皆さんの作業への 関わり方が印象的でした。  作業は里浜の貝塚近くの海岸で行われました。 初めは仲の良いもの同士が固まっていました。 しかし、漁師の方から親切かつ丁寧で熱心な説明を受けながら 各自の作業が決まって行くにつれて いかだ作りの作業が流れるように進んでいきます。 もちろん漁師の方々からの要所要所で適切なファローも入っています。 そんな連携で彼らの活躍が 東松島の海苔復活の大きな役割を果たしたことはいうまでもありません。 彼らはその事に気づいていないようです。 美味しく育った海苔を食べた時に、 自分たちの功績の大きさを実感できるのでしょう。 そして、いかだ作りに使用したロープは 16本のパイプをつないでいました。 しかし、ワタクシにはもう一つのロープが見えました。 そのロープはここ里浜の漁師の方と 水戸短大付属高校の皆さんの心と心を結んでいるように見えました。 また北関東のとある地方都市からいらした センセイ方が参加した月浜チームの活動は、 予定より早い時間で作業が終わり、 稲が崎という高台を見学に行くことができました。  本当に素晴らしい海の景色と センセイ方にはご理解いただけないだろうという 自制心から 2時間ドラマの帝王であり海沿いの崖が最も似合う俳優、 「船越英一郎さんがみたら泣いて喜ぶでしょうね」と言いたいのを必死で我慢しました
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