
ワタクシの住む仙台市の小学校の修学旅行といえば
福島県の会津若松方面に向かい、鶴ヶ城、飯盛山などを周り
猪苗代周辺に宿泊し、湖の周りを散策し、
吾妻小富士にのぼるというのが定説でした。
駄菓子菓子、あの日以降「フクシマ」に
異音を唱える親御さんもいるそうです。
ムスメたちは福島ではなく、
銀河鉄道な夜で黄金を元手に栄えた地域を回ってきました。
親の一人として、少しでも共有したいと思い、
この夏の定例巡業は会津方面に向かいます。
早朝に家を発ち、朝食休憩をはさみながら
最初の目的地、鶴ヶ城へ到着。
住所地を欠いた割引クーポンで入城券を購入しますと。
「育英高校、残念でしたね。応援してたんですけど」
と白河越えを果たせなかった、彼らの話題で声をかけていただきます。
城内は五層の造りになっていて、各階ごとに
会津藩や白虎隊、城の歴史について学ぶことができます。

そこから移動し、飯盛山へ。
明治維新へ向かう戊辰戦争で白虎隊と呼ばれる
少年兵たちが自害した場所です。

修学旅行で来たときにはそれだけしか覚えていませんでしたが、
自害や切腹とは呼ばず、自刃ということ。
猪苗代(数キロ離れた場所)から敵軍から身を隠すように
川や水路を水に浸かりながら飯盛山にたどり着いたこと。
自刃したうちの隊員の中には命を救われた方もいること。
改めて学ぶことが多くありました。
また、甲子園準優勝校の仙台育英学園の創立者の方の
慰霊碑も白虎隊の墓石のそばに立っていることも
偶然ながらも、何かを感じさせる発見でした。
そして、当時は競うように購入した土産物店での木刀。
今も、各店に陳列されていました。
店員さんに「仙台から」と伝えますと、複雑な感情とともに、
「来てくれてありがとうね」とお礼を行ってくださいます。
観光業者の皆さんにとって仙台市内からの有力な来訪者を
失ったことは、彼らの生活に影響していることを実感します。
そんな歴史と今の時代の問題を感じながら、
シリアス編からワタクシの守備範囲に移動していくこととなるのです。
> 福島旅日記② ~ソウルフード編~ へ >> 福島旅日記③ ~レイクランドヒバラ編~ へ
- 関連記事
-
スポンサーサイト