
忘れることのできないあの自然現象から10年たちました。
その日はローテーションの関係で仕事はお休みをいただいておりました。
自宅で一人その瞬間に目を閉じることで
60秒間を過ごしました。
これでいいのだと思います。
海沿いの場所の何か所かが頭には浮かびました。
疫病の拡大を防ぐべく、各地では参加者を絞っての集いが行われていたようです。
そんな中でも、様々な対策を施したうえでの屋外での集いが決行された場所もあるようでした。
それぞれの場所に集まるのは、
その場所でそれぞれの気持ちのある方であるべきだと思うのです。
今年はコロナで今までの集いがないから
(いままで向かったことがないけど)そこに向かいます、
というのはとても失礼です。
だからと言って集いの行われていないちょっとした海岸でさえ
そこは失った家族をそのんだ人々が訪れるかもしれません。
自宅での、その時間。
場所より思う事。忘れないこと…
一方、数年前まで続けていた海岸での活動。
今年は1日繰り上げての実施との情報提供をいただき、
心を込めて伺ってきました。

現地への曲がりくねった道路はかなり整備され、
立派な橋がいくつも架けられていました。

月並みな言葉しか出てきませんが、
目に見えるものだけがすべてではないと思うのです。
目に見えない悲しみがなくならなければ本当のそれは完成しないと思うのです。
あの日生きたかった今日を生きているワタクシ。
皆さんが生きたかった今日をしっかり生きる義務もあります。
彼ら彼女らの分も楽しむ義務があります。
- 関連記事
-
スポンサーサイト