籠久バスケの始祖であり、
高校バスケ界の名称、猛将として知られる
佐藤久夫先生がお亡くなりになりました。
心よりお悔やみ申し上げます。
仙台高校で指揮を執っておられる頃より、
しばしば先生の熱い指導に触れる機会も少なくなく、
打倒能代工業で何度も跳ね返された時代を経て、
徐々に全国でもトップクラスに名を響かせるようになり
ウインターカップの連覇では画面で感涙するお姿。
私立高に着任されてからは、
理想のバスケット更に探求され、
勝ち続けることの難しさにチャレンジされていた姿が目に浮かびます。
久夫先生にゆかりのある団子やさんで、供養のかつ丼。
普段はサラリーマンでにぎわうお店ですが、
この日は若い男子のグループでの来店が多くみられます。
グループのほとんどが、食べ終わると自ら食器を下げ、
お店の方々に感謝の挨拶を伝えながら店を出ていきます。
きっと先生の教え子たちなのでしょう…
久夫先生にそっくりなおかみさん風。
腰はいわゆる「久(く)」の字に近い状態ですが、
朗らかにお店を切り盛りされています。
久夫先生にそっくりな店主さん風。
顎を突き出しながら歩く様子は久夫先生とうり夫(ふ)たつ。
近くに寄ってくると思わず背筋が伸びてしまいます。
安くて美味しくて心のこもったかつ丼。
久夫先生にとっては普段のごちそうだったのかもしれませんし、
試合に勝つためのゲン担ぎ、
試合に勝った勝利メシ、
悔しい試合の後の次へ向けての巻き返しのエネルギー、
いずれにしても節目節目のどんぶりだったのだと思います。
ただただ熱くひたむきに籠久道を追及し続け、
燃える情熱そのものだった久夫先生。
ワタクシが好むバスケットの試合展開は
先生が身上とした守備とトランジションとコンビネーションが土台。
まさに久夫先生のバスケットでしたし、
今の日本代表にも通ずる展開だと言っても過言ではありません。
向こうでは加藤廣志先生(能代工業)、小浜元孝(全日本監督)さんあたりと
勝負を離れた場面で見せてくださる屈託のない笑顔で
広い視野で籠久道を進まれることでしょう。
日本バスケット界にも功績を残された久夫先生、
本当にお疲れさまでした。
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