
昨日午前、
東松島元気フェスタの際にお邪魔したお宅へ伺いました。
アポなしでの訪問もあり、お会いすることはできなかったのですが、
これから旬を迎える果物などを置いてきました。
俳句や川柳を詠む方なので、喜んでいただければと思います。
次の訪問先までは時間が余ったので、
大好きだった石巻市の3A食堂周辺の様子を見に行きました。
東日本大震災で津波の被害を受けた地域でもあります。
3A食堂に向かう道のりでは、
震災直後よりだいぶ復旧が進んでいる様子でした。
中には、営業を再開しているお店もいくつかありました。
3A食堂が面する通りに入ると、重機が作業をしていました。
重機は被災した建物の解体工事を進めていました。
解体されている建物は、3A食堂の建物でした。
大きな爪であっという間に作業が進んでいきます。
3A食堂のご主人(お父さん)とお母さんは
建物にお別れをする時間はあったのでしょうか?
カウンターの中で定食を準備しているお二人の様子を思い出すと
なぜだか、こみあげてくるものがありました。
先ほどの方とお会いできなかった寂しさも重なり、
なんだか悲しい気持ちばかりが…
そんな中、帰り道で立ち寄った東松島市赤井の「三浦屋」さん。
学生時代から気になるお店でしたが、どうしても
3A食堂の魅力を超えて伺ったことはないお店でした。
三浦屋さんも津波の被害を受けましたが、
早期に営業を再開させ、地域の方々に美味しい料理で
元気を与えてくれているお店の一つです。

看板は、ワタクシ的にはド真ん中のお店のようです。
悲しいことを汗と涙で洗い流そうと
(左)敢えてあんかけ系の広東麺をオーダー。
同行したカミさんとムスメは
(右)石巻焼きそば(目玉焼気片目+ハムチーズフライ)


味もボリュームも午前中のブルーな雰囲気を
忘れさせてくれる美味しさでした。
店を出て、ハンドルを握りながらこんなことを考えました。
3A食堂の建物はなくなってしまったけれど、
建て替えや移転を前提にした(解体)工事だったのではないだろうか?
ワタクシにとっては、3Aで食事できなかったからこそ、
三浦屋さんに伺うきっかけになったのではないだろうか。
震災はたくさんの人から大切なものをたくさん奪ってしまいました。
ただ、その中で新しい発見や出会いも出てくることもあるかもしれません。
さらには、
野蒜小学校に立ち寄りました。
ワタクシが出会ってきた人の中には、
宮城県や東松島で復興支援の一定の役割を果たして、
次の支援活動の拠点に移ることを考えている人もいます。
一方では、現地で活動を続けている方はまだまだいますし、
別の支援活動の役割をもって、
東松島に支援活動にやってくる人もいるかもしれません。
ワタクシは「大浜」というキーワードを
活動のモチベーションにしています。
ここを中心にしながら支援活動に来て下さる方々との協業を
よりよい形で進めていきたいのです。
次の被災地に移った人も、東松島のことは考えてくれているはずだし、
何かの機会で立ち寄ったときに、その変りように
感動してもらうことも知り合った目的なのかもしれません。
体育館に設けられた祭壇に手を合わせながら、
そんな思いを確認してきました。
おちゃらけたB級グルメと真面目な震災の話がリンクしていて
不謹慎かもしれませんが、どちらも真剣に取り組んでいるつもりです。
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各地の避難所が閉鎖になりましたね。
一つ一つ区切りをつけていかないといけませんからね。
ところで、台風は大丈夫でしたか?
今回は、新潟をそれましたが、被害が広範囲で心が痛みます。
被災地の人が自立できる環境や支援体制が整った上での閉鎖なのか、
あるいは、被災者の自立を促す意味での避難所閉鎖なのか、
個別のケースもあって難しい問題だと思います。
台風の影響ですが、
ワタクシの住む地域はやや強い風が吹いた程度です。
ただ、沿岸部は浸水等があった地域もあるようです。
間もなく、震災から半年が経ちますが、
まだまだ苦労されている方がたくさんいることを
忘れてはいけないと思います。
おう~B級じゃ!
いつか訪ねましょって思っていましたよ。。
噂どおり、かなり、そそられますのね(^_^)v
もう、看板に偽りなしです。
ぜひとも、ご訪問ください。
ちなみに、リクエストすれば
持ち帰り用のパックもいただけます。
焼きそばは現地で味見程度で、残りはパックで持ち帰り。
他のモノを食べてくると言う作戦もありかも知れません。
いつもありがとうございます。
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