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被災地としての桂島

あひる課長さん

昨日、スイセンプロジェクトの一員として活動してきた
宮城県、浦戸諸島の桂島。

スイセンを植える活動自体は皆さんで楽しく過ごすことはできました。
しかし、島内のあちこちに津波の爪痕が残っていました。

CIMG9962.jpg
塩釜の桟橋から定期航路で30分 (※)
桂島の港に降り立つと、港のそばにある漁業組合の建物脇に
渦を巻く巨大な物体。建物のらせん階段だったそうですが、
津波で破壊されたとのこと。

 ※ちなみに塩釜からの移動時間ですが、
  震災前はもっと短い時間で移動できたそうです。
  津波によるガレキが航路の海底を塞いでいて、
  迂回コースでの運行になっているのだそうです。

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港の乗船待合室脇のアスファルトは津波の引き波の影響でしょうか、
避けるような凹凸が広がり、島のあちこちにガレキが残されています。

CIMG9918.jpg
津波からの避難を島民に警告した防災無線のスピーカーです。
島民は全員無事でした。その身を犠牲にして
島民を高台に急がせ、島民たちの生命を守ってくれました。

CIMG9955.jpg

桂島では、変電設備も津波の被害を受けて
長く停電が続いたそうです。
送電線は塩釜港からではなく、上の図を見ると
宮戸を経由して電力の供給を受けているようです。


ひどい被害を受けた桂島ですが、
一方では復興へ向けた力強い動きが進んでいることを確信しました。

震災前から島おこしのプロジェクトが進んでいて、
そのチームが島おこしと復興への役割を担っているようです。
その一つ、「島を訪れた人には、桂島を故郷だと思ってもらおう」と
観光客に対しては「ようこそ」や「いらっしゃいませ」ではなく、
「おかえりなさい」と声をかけているそうです。
事実、港にはこんなのぼり旗が掲げられています。

CIMG9902.jpg

一見客ではなく、リピーターを増やして行こう
という考えもあることなのだと思います。
永く続けてきてもらう。
ワタクシ個人的にどこかで聞いたセリフのような気もしますが、
非常に有効性があり、桂島にあった計画だと思います。


CIMG9951.jpgCIMG9965.jpg
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そして、今回のスイセンプロジェクトとは別に、
元来島の基幹産業だった漁業も少しづつではありますが、
再開に向けて進んでいるようです。

東松島の宮戸地区でお手伝いしてきた「海苔の養殖いかだ」を
積んだ船もありました。養殖場で作業をしている方もおりました。
海原をかける船も見られました。

海苔の生産になくてはならない1台4~5千万はすると言われる
海苔の乾燥機は震災前20軒の漁師さんが正雄していたそうですが、
残った4台程度の乾燥機を活用し、共同生産体制を採るそうです。

復興に向けて残った機材で、人々が力を合わせて生きていく。
震災は多くの財産をうばいました。
一方では忘れていた大事なものを思い出すきっかけになるのかもしれません。

CIMG9939 - コピー

きれいな海と海洋資源、海苔、送電線と言った宮戸(東松島)
との多くの共通点に不思議な親近感を持つと共に、
スイセン以上に何か大きなものを学んだ気がします。

素晴らしい桂島で。




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[ 2011/10/10 16:57 ] 東日本大震災 | TB(0) | CM(0)

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