
震災のあった年の6月ごろ、我が家の汁もの名人が
原因不明の高熱で入院したことを思い出しています。
近所のかかりつけのお医者さんで診てもらっても良くならず、
ちょっと大きな総合病院に行くと、そのまますぐ入院する事になりました。
総合病院では点滴治療などを受けましたが、
徐々に体の状態は下がり、食事も食べられないほど衰弱。
入院から1週間ほど経ったある日、病院から電話が入ります。
「これから国立○○医療センターへ救急車で向かいます。
今すぐ病院に来て下さい」
その日、ワタクシは初めて救急車に乗りました。
転任した病院でも点滴や様々な検査の日々が続きましたが、
原因はわからないまま、高熱は続き、だんだんと衰弱し、
話しかけても応える元気もなく、食事も全く食べられなくなり…
ワタクシたち家族は「もしや」という覚悟をしながらも
交代で病院に通ったものでした。
ですが、救急車での店員から約1ヶ月後、
熱は下がり、食事も全て食べられるようになりました。
退院時の診断は原因がわからないから『不明熱』なんだそうです。
震災の日、ワタクシもカミさんも職場から離れられず、
汁もの名人はムスメを学校まで迎えに行き、
家を守ってくれていました。
ライフラインが止まった中で食事を準備し、
家の中を片付けつつ、余震に怖がるムスメを
抱きしめてくれたのも彼女です。
若くはありませんので、無意識の中でのハイテンションが
最終的に体が悲鳴を上げたのではないかと思っています。
母のように原因不明の痛みや苦しみと闘っている方は
他にもいるはずです。
焦らず、ゆっくり休むのが一番のクスリだと思うのです。
「復興に向けて頑張りすぎですよ、
こうでもしないとあなたは休んでくれないから」
という神様からのプレゼントだと思って、
心とも体を休めて欲しいと思います。
お元気になられたら、コンビニやSAではなく、
居酒屋や思い出の場所でゆっくりお会いしたいと思います。
- 関連記事
-
スポンサーサイト