
日本各地に記録的な大雪が降った翌週、
いつもお世話になっている
DSPさんの活動に参加してまいりました。
活動自体については時間のある時にお話をさせていただきます。
解散後、活動場所からの帰宅途中すぐに
ライトグリーンの橋を渡ると
ある場所がすぐそばにあることを思い出します。
月命日の日でしたので、素通りでは無躾かと思い、
せめて献花台に手を合わせて行こうと車のハンドルを切ります。
普段はかなりの台数が使用できる駐車スペースも
40センチ近い積雪のため、使用できない状態でした。
Uターンできる場所を探しながら100メートルほど通り過ぎ
慰霊碑そばの路肩に車を駐めて、慰霊碑の様子を確認します。
こちらも積雪が残っていて、
人ひとりが通れる通路が2本確保されていました。
献花台にはたくさんの花が献げられてあります。
ワタクシと数秒違いで献花台に向かった5,6人のグループが
何やら唱えながら、献花台に向かっていました。
きっと、ご遺族であろうと思い、「部外者」のワタクシは
献花台から10メートルほど離れた道路で待たせてもらいました。
5分ほど、待ちましたがまだお祈りは終わりません。
何やら経本のようなものを皆さんお持ちのようです。
2台の車でいらしたようで、愛知県〇橋ナンバーと宮城県の〇台ナンバー。
彼ら、そして彼らのお祈りを待つワタクシ以外にはそこに人はいません。
お祈りしているうちの一人がワタクシに気が付いたようですが、
彼らのお祈りはまだ終わりません。
時計を見ると、揺れの時間から約1時間たっていた時間でした。
海からの恐ろしい波が襲ってきた時間です。
月命日、そしてさっきまでの活動中に伺った
現地の方のお話がぐるぐる渦巻いて色々なことを想像します。
彼らの祈りはまだ続きます。
彼らの中の一人が、5,6回ほどワタクシが待っている姿を眺めた後、
祈りの中心者の方に声をかけたことで、
ワタクシは献花台の前で手を合わせることができました。
ワタクシが手を合わせた数十秒の間も彼らのお祈りは
ワタクシの後方で続いていました。
彼らがご遺族であればワタクシは何も言いませんが、
ご遺族であればきっとすぐに献花台を譲ってくれた気がするのです。
周りの人に配慮せず、自分たちの信念だけで
献花台を独占するかのような行動。
だから、震災遺構が変な形で観光地化するのは嫌なのです。
献花台の前では、すべての人が平等であり、
お互いがなくたった方だけを思いながら、
周囲に許される範囲で手を合わせるべきだと思うのです。
それを、一つの被災地めぐりの宗教が
専有的に献花台に向かうのはどうなのでしょうか?
献花台のかげからから子どもたちが見ているのですから。
ただ、それだけです。
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