
4年目の時が流れ、仙台には陛下がいらしてくださいました。
本当にありがたいことです。
4年目のその日は仕事をすることにしました。
各地で慰霊祭や前進を誓うセレモニーなどが行われました。
そこに深いかかわりもないワタクシが行くことで、
不要な渋滞や駐車スペースをなくせればとの思いもあります。
みんなで風船飛ばしたりするのも苦手です。
仕事中通りかかった岸壁で黙とうだけはさせてもらいました。
その岸壁は有名な場所でもなく、ただ海の見える場所。
たまたま通りかかって、その時間が近かったので
そこで黙とうをさせてもらいました。
防災無線からはサイレンの音が30秒ほど響いていました。

お借りしているB級菜園サントリー金麦スペシャルフィールド。
地主さんの息子さんが突然亡くなられたという知らせ。
自宅を再建し、老夫婦は元の場所での生活が
軌道に乗り始めたばかりの出来事だっただけに
ワタクシはどのように励ましのお声をかければよいか
まったく思いつきません。

お世話になっている方が、
仮設住宅から災害公営住宅へ入居することができました。
お祝いの席にお招きいただき、
その方とその仲間の皆さんならではのお祝い料理をいただきながら、
当地の皆さんの生活が以前に戻りつつあるお時間に
お付き合いさせていただきました。



歓談の中にもズシリとする言葉、距離感。
「
自宅を直して住んでいる人と、仮設の人には微妙な隔たりがあった」
「同じ被災者ではあるけど、見えない壁ができていた」
ならば、よそ者のワタクシたちは
その方からどのように見えていたのでしょうか。
津波の被害で何もかもがなくなった場所と、
わずかな家財道具を失っただけで普通の生活に戻ったワタクシ。
申し訳ない気もしますが、
できる時にできる範囲でできることを。
賛否両論ありますが、自分らしく、ブレずに。
亡くなった人たちに恥ずかしくないよう、
B級道を極めてまいります。
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